今日のみんなの活動は「初詣&書初め大会」です。
初詣はすぐ上にある三輪明神にお参りしにいきました。毎年の恒例です。
神格的な場所は入るだけでも感じるものがありますよね。
作法もいろいろあるし、、、
お賽銭箱の前に立つと子ども達はどうしていいのか分からず少し緊張した面持ちでした。
お参りし終えると安堵の表情といったところです。
書初め大会もしました。
書いた文字は「正月」「戌」それと、好きなものなんでも。
文字を書くことが好きでない子もイキイキとかきます。
今回大切にしたことは、「書くこと」です。
上手である必要はありません。
もちろん、個人の得意に合わせて工夫するポイントや「こんな字も書いてみたら?」なんて発想を伝えることはあります。
でも上手である必要はありません。
みんながみんなの書いたものを「いいねーそれ!」っていいところに注目して褒め合えることを大事にしました。
お互いが認め合うということです。
しかしながら今回やってみて感じたのはみんな上手に書きたいと思っているということ。
だから褒められないと不安です。最初は筆を握るもの不安なほどです。
書けた文字を褒められて、安心する。と言った様子。。。
そしてまた「上手でなければならない」と自分で自分を焦らせるように何度も書き直します。
お手本の文字を目指しているみたいです。
「味がある」とか「個性的」とか「これ好きだわー」なんて言葉は響きません。
「そんな慰めいらないよ」と言わんばかりに何度もかきます。
上手に書こうとするのは良いことですよね。
「もっと上手書きたい」というのが向上心というものでしょう。
しかしそれに執着してしまっては向上心というものからは遠ざかってしまうとのではないでしょうか。
もっと上手に書くために、焦り、苛立ち、落胆するようでは、上手に書くことに固執してしまっています。
「自分の文字が上手でなければ受け入れられない」といった状態です。
気持ちはよくわかります。
上手であれば褒めてもらえます。
みんなから羨ましがられます。
上手な字を書ける自分であれば、自分で自分のことを認めるのも簡単なことでしょう。
でもきっと「あ、これ苦手だ!」って思うこともあるはずです。
そんなときには「まぁでも、これはこれでいい味だしてるじゃん」って自分で認めることが大切なのではないでしょうか。
「上手い、下手」の一軸ではなくていろんな視点から良いところを見つけられる力があれば
自分で自分を認めやすくなるのです。みんなにもそんな風に思ってほしいです。
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